【感動】父のタヒ後、自分が施設から引き取られたと知り、裏切られたと思った私は母を「誰?気持ち悪い」と無視。ある日、仕事返りのボロボロの母を見て私は思わず・・・

 

元々家が裕福ではありませんでした。

ですから父が死んでしまったので、母が働きに出ざるを得ませんでした。

母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました。

それもこれも全て、私のためのものでした。

ですが当時の私にはそれすらもうっとうしく思えてなりませんでした。

 

 

時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なってしまい友達と登校していた私は、ボロボロになった母と家族であるということを友達に知られたくなく

「いってらっしゃい」と言う母を無視しては、友達に「誰あれ、気持ち悪いんだけど」という悪口すら言っていたものでした。

それを察してか、次の日にはわざと目を伏せ、足早に私とすれ違っていきました。

でも、それでも、母は何一つ文句をいわず働いてくれていました。

そんな日が一ヶ月くらい続いたと記憶しています。

そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました。

 

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